漫画のキャラクターに当てはめてギバー、テイカー、マッチャーを解説!与える者と奪う者?

様々な漫画のキャラクターを通して考えてみる。その前にギバー、テイカー、マッチャーの特徴とは?

そして、世の中に出回っている書籍では一部はタイトルから分かるようにギバーを推すようなカタチで書かれているが、その内容の本質はいかに?


自論に加え様々な書籍から得たことを一つの記事に凝縮してみた。この三つのタイプに対しての理論は、個人的にもかなり興味深い内容であった。


知ると知らないとでは、歴然の差。



■与える者と奪う者!ギバー、テイカー、マッチャーとは何か?
■それぞれのタイプが複合され絡み合う人間社会について
■タイプ別に利点や注意点を考えてみる

ギバーとテイカーには実はそれぞれに長所がある?

結論から言えば。表面上はギバー、テイカー、マッチャー、いずれも間違いはない。重要なのは本質や根っこの部分だと思う。しかし、これだけだと話が終わってしまう。「みんなでギバーになろうよ」という話になり、本質が分からない。


人間関係や物事は、複雑である。その中で、なるべくシンプルな考えに結びつけたいと思い、今回記事にしてみた。


最近話題になっている"与える者と奪う者"またはそのどちらでもない者。世の中には大きく分けて三つのタイプの人間が存在すると言われている。


まずは鬼滅の刃のキャラクターに当てはめてみる。


情報が溢れる今の時代だからこそ、昔の根性論や熱血キャラクターに着目してみよう。


人に与える精神を持つ「ギバー」と人から奪う「テイカー」そしてバランス重視で考える「マッチャー」

最近話題になっている"与える者と奪う者"またはそのどちらでもない者。世の中には大きく分けて三つのタイプの人間が存在すると言われている。


まずは鬼滅の刃のキャラクターに当てはめてみる。


情報が溢れる今の時代だからこそ、昔の根性論や熱血キャラクターに着目してみよう。


まず、ちょうど今年話題になった映画「鬼滅の刃・地獄列車編」でメインを飾ったキャラクター「煉獄」を分析。


鬼滅の刃では熱血キャラクターの何にしても熱量が大事という事を煉獄というキャラクターが物語っている?


少年誌のキャラクターを軸に「ギブ・アンド・テイク」の話に当てはめてみる


個人的な意見だが最近の漫画は予想を超えた結末が多く、単純な勝ち負けではないように思える。


鬼滅の刃や、過去、スラムダンク、幽遊白書を題材にした内容でもあったように「努力は人を裏切らないではなく、そもそも結果がどうであれ本人の思考や考え方次第」


失敗を失敗と思わなければ失敗ではない。敗北も同様であり、その先のほうが大切だという考えにも行き着く。


何かを犠牲にする事で得らる経験

煉獄は、例え周囲が望んでいた結果とは異なったとしても、自分を犠牲にし、最後までやり遂げ大きな感動を与えた。


そう彼はタイプ別に例えるならギバーであると考えられる。


事実、映画でも周囲に与えた影響は大きく(ファンに対しても)その経過に心を打たれると同時に、熱血男の大切さを知る。


それは、視聴者、ファンも含め、失ってから気付くものでもあった。


ここで自己啓発的な内容を語る訳ではないが


そもそも自己啓発は賛否両論。結果、想いの言語化や精神論を知っただけでは叶わないという理屈もある。


同じ本を読んでも個人の解釈や、これから先の行動量、つまり思考が異なるということ。


少年誌や数ある物語の中には、煉獄も含め他者のために力を発揮する「他者貢献」ギバーの精神を兼ね備えていた?


様々なタイプが存在する複雑な人間関係!まずは表面上のキャラクターの特徴に着目!

最近の漫画はキャラクターの個性が強く、いざ団結しようという時に必ずといっていいほど、何しらの弊害が立ちはだかる。それは人間関係


中には「自分は関係ない」と関与しないキャラクター、「自分には無理だ」と怖気付くキャラクター等、それぞれ思考やタイプが分かれる。


世の中にはギバー、マッチャー、テイカーという三種類のタイプの人間が存在。この三つのタイプについて個人的に調べてみた。(個人な意見も含まれるが)


これまで、いくつかの漫画のキャラクターを題材に性格や行動、思考などを分析し、言語化してみたが、最終的に行き着くところがギバーの心得であった。


(新世紀エヴァンゲリオンの渚カヲル、幽遊白書の飛影、ワンピースのルフィ…などなど)


漫画のキャラクター達の仲間の結束力については語るまでもないが、様々なキャラクターが登場し表面上はテイカー、マッチャーかのように思えるような人物にもギバー的な要素が見受けられる。


はじめに申し上げておくと、この三つのタイプには長所と短所があり、一概に何が正しいとは言えない。ただ、人を固定概念でタイプ別に決めつけるのはある意味リスク。


頭の片隅にあれば、いざ具体的な問題が起きた時など、人間関係のトラブルを事前に回避したり、どのように人と向き合うかなど、迷ったときの判断基準になるとは思う。


テイカーが必ずしも接する人間全てに対してテイカーとも限らない点…それも踏まえて考えてみる。

複雑に絡み合う人間関係!三つのタイプの特徴について具体的に解説!

テイカーについて


テイカーは「奪う」という表現であるが、損を嫌い勝ちに徹するので、それはある種の強みである。


しかし、一歩、間違えた場合テイカーは相手を蹴落とす、または相手から搾取するという無理矢理な印象も。


全てではないが様々な物語に出てくる魅力的な悪役や定型的な悪役も含め、テイカーである場合が多い。


果たしてテイカーが悪でギバーが正義と言い切れるのか?


ちなみに、わかる人には伝わるだろう話。レッドリボン軍の総帥は単なる駄々っ子テイカーだろう。末路があっけなさすぎてキャラ的に悲惨である。まさに典型的な反面教師の例だ。


現実社会はもっと複雑で、勝ちに徹する執念は必要なので、あからさまに悪役タイプとも言い難いし、もちろん、表面上だけでは、テイカーと判断できない。


「奪いとればいい」等、自らテイカーであることをハッキリ口にする事もあれば包み隠す場合もあるが、逆に表面上はテイカーでフタをあけてみたらギバーであったり…と、接してみることで分かることもある。


人の心理や本質をついた発言をし、周囲を納得させるたりと、頭のキレるテイカーも。


すぐに人を見てテイカーと決めつけるのは、お勧めできない。行動を見て、発言に偽りがなければ、貴方にとってはギバーの存在に当てはまったりもする場合がある。


ただ、映画などでよく見られるのが、テイカーが欲を求めるあまり、別のテイカーによって奪われてしまう例もある。


効率性やメリットのみに目がいき、話に乗っかり、逆に奪われてしまうケースも。


ただ、テイカーそのものが全て問題とも言い難い。それぞれの良し悪しなど、特性があると思うので、そこにも触れてみよう。


もし、テイカーが貴方の味方側にいたと過程し、その時その時で、テイカーが得をする条件等を満たしていれば、結果として良い方向に進むということも考えられる。


または、テイカーが他者、大衆に与えられる事も実際には大きい。それは必ずしもブラックな組織ではなく、ホワイトな組織でも同様である。


互いの条件を満たしていれば、被害ではなく、むしろプラス要素となるのではないだろうか?


果たして、そこまで計算して人と接する必要があるのか?疑問ではあるが、本当に重要場面では、深く考える必要があるかもしれない。


分かりやすい例で言えば「取引先」

もっと分かりやすい例で言えば「就職先」

または「恋人」「営業マン」


テイカーの中でも様々なタイプがいる。正義を貫く面もあるので、テイカーに尽くすことで幸せを得られる人もいる。


結論は相性で決まる?


続いてはマッチャーについて語ってみる。


マッチャーについて


マッチャーは平等精神を持つ。当然ながら働いた分、動いた分を相手にも要求するので、ある意味、損得感情ではない。契約通り決められたルールにきちんと従っているので真っ当である。


個人的な意見でもあるがマッチャータイプは世間的には真面目であり、大多数がマッチャーであることから、社会全体を支えているのもマッチャー。


マッチャーのメリットはこの安定感。デメリットは無難で慎重であるが故に、冒険できない面もある。リスクは比較的、避ける傾向があり、危機管理能力が高い部分が長所か。


世の中でマッチャータイプが大多数を占めていると言われており、イレギュラーな事や理不尽な事があれば多くの同意見者を集め団結するので、ある意味、最も強い存在とも言える。


「〇〇はおかしい。規則に違反している」と言った具合で、多数の同意見を集めやすい。そのため、マッチャータイプのカリスマ性のあるキャラクターが存在。組織のリーダーとして指揮を取っていたりもする。


マッチャーは、このように定められた掟に従うため精神も安定しているよう。


まずは基本を身に付けるという意味でも、先駆者や崇拝する人物の元で、変に自己流の考えで動かずにマッチャーのようにバランスを重視の判断で、まず行動したほうが着実であろう。


時には、安定感を重視し、マッチャーの揺るぎない精神を持つのも良さそうだ。大きなバクチよりも、小さな成功を積み重ねていく。チリも積もれば山となるということだろう。

続いてギバーについて語ってみる。

ギバーについて


近年、よく話に聞くギバーについてだが、ギバーの人は相手に惜しみ無く与える精神を持ち、はじめから相手に見返り等は求めていない。金額交渉や等価交換を求めずに相手のために尽くしてしまう場合もある。


新世紀エヴァンゲリオンの渚カヲルに関しては、ギバーとは一言では語れない魅力を醸し出していた。


使徒なので人の域を超えている面もあるが、人よりも人らしく、思考や生き方の道筋を示しているに見える。


(渚カヲルを題材にした内容は以前記事にしてみたので今回は語らないが)


実際の現実社会のギバーはどんなタイプかというと、惜しみ無く人に与える人を示す。

例えば「全然大丈夫ですよ」「喜んでくれて良かった」といった言動や、人のために行動する。これがギバーの良い部分であるが、逆に弱点でもある。


現実社会では、ブラックな組織に所属しても気づかない場合が多い。或いは、ボロボロになるまで精神や体力を削ってしまう。


または、途中で違和感に気付くまでの間は尽くしてしまうので、後々、意見が食い違ったりする。


相手に搾取され、気付いた時には遅いという事も


一見するとギバーは正義にも見えるが、人の良さが裏目に出たり相手に感情移入しやすいことから、知らず知らず悪い方向に転んでいく可能性もある。


この話だと、ギバーは最も立場が弱いようにも捉えてしまうが、ギバーにも強みがある。


はじめは、もしかしたら少数ではあるが、理解者や仲間を集めることで力を発揮するようだ。


ギバーが強みを発揮した場合は周囲から信頼を得られるので、どこかで間違えなければ長期的な結果を得られる。


ただ、それでもに様々な壁が立ちはだかるので、途中で挫折しやすいのもギバーの特徴。


主人公キャラクターにも見られる特徴ではあるが現実的に、ギバーは人の良さが裏目に出てしまうようにも見える。


そのため、度々、周囲に迷惑を掛けてしまうことも


実際に人の役立ち、誰かを喜ばせたとしよう。

それでも無関係の人間から見たらプラス要素は少ないので、大衆に理解させるのは困難だと、はじめから覚悟しておく必要がある。


特に心や身体が悲鳴をあげているときや、相手に違和感を感じているにも関わらずギブした場合、自らの首を絞めることになりかねない。仕事であれば取り返しがつかない事になる場合もあったりと、リスクも伴う。


例でいえば、誰かのために尽くした結果、周囲全体に多大な心配を掛けてしまう等。そこに関与していない他者は、その過程や心境を知らない場合が多い。


他者貢献を苦としないギバーであれば、いざというときに頼りになる仲間に助けられたりと、自然と周りを巻き込みリーダーシップも取れたりする。


ギバーは最も失敗しやすい性質だが、その反面、大きな可能性を秘めているとも言われている。


ギブするにも人を選んだほうが良さそうだが果たして


自論だがギバーがギバーにギブしたらどうだろうか?


個人的な発想だが、仕事に関しても、お客は神様という考えもあれば、お客を選べという考えもある。選べる立場ではないと言うのであれば、少しでも自分と相性のいいお客のタイプを知るだけでも良い。


ちなみにギバーが提供したものやサービスに対し、相手がそれを求めていなかった場合はギブとは言えない


このことから必ずしもギバーが相手にギブできるという保証はなく、相手との関係性や相性も大きく関係してくるようだ。


特に大きな目標や案件、取引が絡んでくると得意不得意、または向き不向き等も関係するが、上手くいけば讃えられる。


つまり、本人にとっても大吉と出るか大凶とでるか、結果が極端である。


自己満足のギバー精神は相手の期待を裏切る可能性もあり、ビジネスの世界や真剣勝負では時間や期限、方向性など、相手が求める事を理解していないと、どれだけ一生懸命仕事をしても、仇となる可能性がある。


一部の人には理解される可能性もあるが…

自己満足でギブした場合、それに対し、相手が有り難みを感じるかどうかは保証できない。


コミュニケーションや打ち合わせ、少なくとも、まだ知り合って間もない場合は、重要部分の見極めるため、確認と了承は必須である。


しかし、ここでも油断できない。これまで人の良さからか、契約を捻じ曲げられ、相手から当然のようにけ無理な要求をされたときである。

本当にお互いのためになるのか?冷静に考える必要があり、時には断る勇気や理論立てて説明する必要がある。

このような場面ではマッチャーの性質を見習うと良いかもしない。

おおよそ一人の人間の中にギバー、テイカー、マッチャーが複合され存在している?

調べたところによれば遺伝子的な要素や、幼少期から思春期、大人までに成長するまでの過程である程度タイプが決まってくるという説も。これが遺伝子的な話であれば、脳のつくりということになるのだがハッキリとした根拠は見つからない。さらに、三つのタイプが複合されてる場合が、ほとんどのようで一概にも一つのタイプに当てはまるという訳ではなさそうだ。


[複合の場合]


例えば:

・テイカー7 : ギバー3

・ギバー7 : マッチャー3

・マッチャー6 : ギバー2 : テイカー3

・ギバー5 : テイカー5


上記の比率(比重)はあくまで一例にすぎない。


比重も含め自分自身がどのタイプに当てはまるのか知っておく、または、どのような生き方が性に合っているか。


案外気持ち次第で変われるかもしれない。


ただ、実際に身近な人物やパートナー、仕事相手に対して、無理に当てはめたり、決めつけてしまうのはどうかと思うが


自論だが「人を信じる」というのは「裏切られたら困る」という感情が働くので常にニュートラルで人に何かを求めすぎないほうが幸せなのかもしれない。


いざ問題がおきたとき、相手を憎しみや怒りでせめる必要がないからだ。


情があって熱く何かを伝えるのであれば、それはファミリーの絆であり、憎悪ではない。


このように自論も交えながら三つのタイプ別に分析し、語ってみたものの、そもそも実際に「人のタイプを分類する」というと少し良くない表現だが、偏見ではなく、それぞれのタイプの利点を考えながら人と接すると、何か発見があるはずだ。


これは計算というよりも相手を理解したり、相手の気持ちを考える上でも役立つ。


ちなみに本来なら私自身、もっとこれから学びが必要であり、人間関係に揉まれる必要があると思っている。


このような形で記事にまとめたのも頭を整理するためであり、当然、正解が分かったわけでもない。


ただ、その都度、思考を働かせ、最終的にギブしているだろうか?と自問自答してみたり、あの人に恩を返したい…等、自発的に考え、行動すれば良いかと。


シンプルに考えるなら、仕事であれば、接する時間やサービスも含め、相手が損と感じた時点で綺麗事抜きで関係が切れてしまう事。


ギブ精神とは相手が困っている事は何か…。相手を知ることから始まる。


または本当に相手が欲しいものであり、満足するもの。


それはカタチに見えるものであればわかりやすいが、案外カタチに見えないものが大きかったりする。


ギブを受けた場合は当たり前と思わず何かで返したいものだ。


これまでのブログで、光と陰、正義と悪はは表裏一体だという内容を書いた。


ネタとして漫画のキャラクターに当てはめてみたが、現実社会でも、それぞれの長所や性質が異なるということが分かれば、仕事やコミュニティ、またはこれからパーティーを組む上でも役立つかも?


パーティーを組むことでタイプ別にそれぞれの特徴を生かせるかもしれない!

ロールプレイングで例えるなら、戦士ばかりのパーティーで攻めに徹しているだけでは、難関をクリアできないという理屈と同じ。


ピンチの時に仲間の体力を回復させたり、全体を補助する役割も必要ということ。


「隣の芝生はあおく見える」という言葉もあるように、無い物ねだりで他人が良く見えたりもするが。


それぞれの特色を生かすこと。ワンピースや鬼滅の刃のキャラクターのような構成でパーティーを結成できたら理想的である。


まるでコミックやゲーム等では、個々で役割を分担し、長所や生かすことの重要性を物語っているようだ。


あえてネガティブな表現で言わせていただくと


「テイカーには気をつけないと搾取される」「ギバーはお人好しで利用される」

「マッチャーは無難すぎる」


という印象もある。しかし、実際はもっと複雑であり、この三つのタイプの中でも、それぞれのタイプが複合され、人の感情を交えながら無限に分類されるということ。


社会のルールに適応した正義のテイカーもいれば、正反対なギバーが人に迷惑を掛けてしまうこともあり得る。


さらに、対人関係においてテイカーが貴方にとってギバーになる可能性もある。例えテイカーの気質がある人物でも「貴方にギブすることで得られることが大きい」と判断した場合など。それが能力なのか人柄や人間性が関係しているかは定かではないが、少なくとも相手を理解する事、価値感の共有は大切ではないだろうか?


サービスを受ける側もサービスする側も、ビジネスパートナー、恋愛、交友関係、家族関係、全てに当てはまる。


断言はできないが、もし、貴方がギバーであり、相手もギバーであれば与え合う事で相乗効果を期待でき良い関係が続く。


対人間関係や人生の中でギバー、マッチャー、テイカーにも変化が見られる?

自分の存在意義や居場所をつくりたいがためにギブした場合、「ありがた迷惑」という言葉もあるように互いにとって負担になる場合もある得る。(あくまでやり過ぎた場合であるが)


シンプルに考えたら「今後大切にしたい人」に対して行うのが良いかと。


長い目で見て、その人と関わっていけるのであれば良いとか、お互いに刺激がある、学びがあるというように。


ちなみに今年2020年大ヒットした映画のハーレイ・クインは、失恋からジョーカー(恋人)との思い出の場所を破壊、爆破した。


彼女にとって恋が全てといっても過言ではなかった。まさに希望と絶望。


ユダヤの教えにもあるようにお金に対する考え方も様々だ


ギバー、テイカー、マッチャーの話やギブ・アンド・テイク等、このような話になると、どうしても、お金の話に結びつけて考えてしまう傾向がある。それだけ、お金というものは人生に影響を与える。


ただ「お金は便利な道具でしかない」という考えや、心の豊かさはお金ではいという考え、知識が財産というような考えもある。


それと同時に「薄っぺらい財布は心の余裕を無くすという教えもあるように、一見異なる話であってもギブ・アンド・テイクに関連する内容は多々、目にしたり耳にしたりする。


これは「ユダヤの教え」の内容ではあるが、知識や経験、または技術面の等価交換でも成り立つ場合もあり、古代から人間は等価交換をしてきた。当然ながら、現代では信用の証として、便利な道具としてお金をうまく活用しているだけのよう…。


いずれにしても等価交換する場合においては立ち場が異なった場合であっても平等だ。


正解を導き出したい、正解を知りたいと思うが、これに限っては絶妙な感覚であり、シチュエーションや今現在の環境、または関わる人によって変化する。


例えば、必要であればテイカーのような振る舞いも必要かもしれないという事。結果的に相手(貴方が大切な人)に対し筋を通す事。


「ギバーが結果、得するなら自分はギバーになろう」という発想ではギバーの精神から外れていることになる


いずれにしても「やるか、やらないか」で言えば何事もやってみないと分からない。経験値で言えば、損か得かを考えすぎるとアクセルが踏めないので、行動量が減ってしまう恐れがある。つまり経験が得られないという事になるので、それはそれでリスクではないだろうか?


経験を得らる=成長に結びつく


このことからも、ギバーは自発的に他者に貢献することで、特別な経験が得られる点。(知的財産、技術向上、コミュ力など)


ということで、ギバー、テイカー、マッチャーの特色について色々と調べ、現実社会やコミックのキャラクター等に当てはめながら、個人的な主観で語ってみた。


ギバー、テイカー、マッチャー…


クリエイターの私が語るには重たい内容であり、勿論、このような題材はビジネス評論家の人が語ったほうが成功法に結びつけやすいだろう。


しかし、クリエイターの視点、経営者としての視点から考えてみるのも結構、楽しかったりする。


クリエイターは一歩間違えると、他者貢献なのか、単に個人的な拘りで物事に没頭しているのか…迷走する場合があるので、今回は自分自身の頭を整理すると同時に、同じように興味を持ち、疑問に感じている人に向けて記事をまとめてみた。


個人の主観も含まれているので賛否両論あるかもしれません。


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